インベスコ グローバル・マクロ・セミナー
2020年10月16日に、インベスコ グローバル・マクロ・セミナーを開催いたしました。本年は、昨年に続いて伊藤元重先生をお招きしての新型コロナウイルスの社会的影響に関する議論に加え、当社のストラテジストやエコノミストも加わり、米中の対立が先鋭化しつつあるこの環境下、また、米国大統領選挙直前の今、今後の世界経済の行方と2021年の金融市場の動向について占いました。
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講演1
「グローバル金融市場の展望とリスク要因について」
<2020年 米国大統領選挙>
インベスコ チーフ・グローバル・マーケット・ストラテジスト
クリスティーナ・フーパー
1.2020年の大統領選挙のポイント
本日のテーマにおいてまず皆さまにお伝えしたいメッセージは、「米国の大統領選挙は経済に大きく左右される」ということです。特に失業率が重要であり、過去、失業率が悪化している場合に現職の大統領が再選することは珍しく、その逆の場合は再選の可能性が高くなります。2020年に失業率が悪化していることを考えると、トランプ氏の再選には大きな障害があると言えます。現在の調査はバイデン氏が優勢であり、4年前のヒラリー氏と比較してもシニア層からの人気が高いという特徴があります。ただし、4年前と同様に、今回も驚きの結果となる可能性を否定することはできません。
私がよく受ける質問の1つは、上院の議席数についてです。今回は、かなりの確率で民主党が過半数を占めると思われます。民主党はわずか3つの議席を増やせば過半数に達します。アラバマ州では議席を減らすでしょうが、残り4つの州で勝利すればよい訳で、コロラド州、アリゾナ州、メーン州、ノースカロライナ州などの状況を考えると、民主党の上院での勝利が実現する可能性は非常に高いと考えます。
今回の選挙の懸念点の1つは、米国国民が選挙の結果を受け入れるのかという点です。2つの政党支持者間で、今回の選挙における不正の可能性についての見解は既に大きく食い違っています。共和党支持者と無党派層は、選挙に不正がある可能性が高いと考えており、金融市場は「選挙無効への訴え」が提出される事態を懸念しています。
また、もしトランプ氏が再選した場合に政策はどう変わるのか、という質問もよく受けます。再選の場合には上院は共和党が過半を占めるでしょうから、政策の方向性自体は大きく変わらないと思われます。米中貿易の緊張は続き、その状況は悪化すると考えておくべきでしょう。脱グローバル化の動きも、トランプ氏の政策の軸であるため継続されるでしょう。いずれにしても、先々の不透明感はより高まり、そして民主党が下院を支配する中で手詰まり感が強まるものと思われます。一方、バイデン氏が勝利した場合には、上院・下院とも民主党が過半を取ることになるでしょうから、トランプ政権が進めてきた政策の巻き戻しが行われるでしょう。いくつかの政策は民間のビジネスに好意的なものではないかもしれませんが、期待されている巨額の財政政策は景気にプラスとなるでしょう。また、貿易政策についてもグローバル経済にポジティブな影響が予想されるでしょう。ただし、もしバイデン氏が両院の過半数とともに強固な政権を得たとしても、多くの法案を成立させるのは困難と考えます。過去の大統領が成立させた重要法案は、せいぜい2つ3つに過ぎず、バイデン氏の勝利で何かが劇的に変化すると考えておく必要はないでしょう。ただし、市場では、新しい政権に影響を受けると考えられる一部の業種に動きが見られると考えます。気を付けるべきは、大統領選挙前に市場が予想していたような現実は、実際には訪れていないことです。例えば、オバマ氏の当選時はヘルスケアセクターが売られましたが、結局、数年後のヘルスケアセクターは最もパフォーマンスが好調な業種の1つとなりました。またトランプ氏の当選時は石油・ガス産業が支援を受けると期待が集まりましたが、結局、エネルギーセクターは最もパフォーマンスが悪い業種の1つとなりました。つまり、市場のセクターに対しての事前予測は、実際の結果にあまり結びついていないのです。
2人の候補者の最も大きな違いは、貿易に対しての介入かもしれません。貿易関税の問題は、米国と世界の経済全体にも影響を与えている重要な問題です。バイデン政権の下では、より通常の貿易政策に戻ることが予想されます。中国への攻撃は知的財産侵害など一部の領域が対象となり、関税引き上げが利用されることも減るでしょう。
2.各資産クラスへの示唆は?
まず確認しておきたいことは、政治が市場に与える影響は極めて限定的であり、景気サイクルがより大きな影響を与えるということです。選挙結果の市場の影響について考えすぎるのはよくありませんが、貿易については1つの例外といえるかもしれません。トランプ政権の貿易政策は、経済に大きなマイナスの影響を与えたからです。バイデン氏の政権となれば、反対にプラスの影響が見られるでしょう。
「政治的要素は株価にどのように影響をもたらすのか」という質問もよく受けます。政治的要素は、企業のキャッシュフローに、税金、投資、景況感などを通じて影響を与えます。バイデン氏の政策の中では、最低賃金の引き上げのマイナス影響が取り沙汰されていますが、小売業などの利益率の低い一部の業種を除いて、株式市場への影響は限定的だと考えています。この他、バイデン政権の株価への影響について、様々な考察がされていますが、実際のところはどうなのでしょうか。まず、法人税率引き上げについてです。法人税率の引き上げは一時的に企業利益を減らすことに疑いはありませんが、中長期的には税率の変化と株式のリターンについて高い相関は見られていません。つまり、税率は株価を決める最大の要因ではないということです。次に、経済への影響についてはどうでしょうか。実は過去、民主党政権時において失業率が顕著に低下しており、これは一般的な「共和党がビジネスに好意的」で「民主党は非好意的」とのイメージとは異なります。同様に、共和党政権は民主党政権よりも株式市場にとってポジティブ、というイメージもあるでしょう。実際は、1953年以降、民主党政権下の株価パフォーマンスは共和党政権下よりも良好です。政権と議会のバランスなども考慮しなくてはなりませんが、どちらの党が政権を握っているのかという単純な話だけではなく、より多くの要因が市場価格に影響を与えています。特に金融政策は重要な1つでしょう。そして、今回の選挙でどちらの陣営が勝利しようとも、連邦債務が急激に増えている中で、予算の制約の問題に直面します。足元の不安定な経済状況下では政府債務増加について懸念を持つべきではありませんが、どこかの段階では非伝統的な金融政策の影響も考えていかなければなりません。そしてさらに非伝統的なMMT理論(現代貨幣理論)も取り沙汰されてはいますが、それはまだ遠い未来の話でしょう。
次に、金(ゴールド)についてですが、選挙無効の訴えが起こった場合には、金価格の上昇が見込まれるでしょう。2016年のケースを見ると、トランプ氏の勝利が発表された直後から株式が売られ、金が買われる動きが見られましたが、これは翌日にヒラリー陣営が敗北のスピーチを出すまでの、選挙無効の訴えを懸念しての動きでした。今回も同様の動きが見られるかもしれません。
両陣営の勝利した後の影響を整理してみると、バイデン氏の勝利は経済全体にプラスで、特にESGの動きに注目が集まるでしょう。トランプ氏が勝利した場合は地政学リスクへの懸念が引き続き高まり、金が上昇するなどの動きが予想されると思います。そして、選挙無効の訴えが出された場合には、金、米国債、円などの資産が上昇するでしょう。
3.大局観の整理
いくつかの大局観を整理しておきましょう。まず、今回はどちらの大統領候補が勝利しようと、経済と株式市場にそれほど大きな影響はないという点です。そして1960年代以降、ジョンソン政権とケネディ政権という民主党政権時に経済は大きく成長しており、特にジョンソン政権では大きな財政支出が行われました。つまり、今回、民主党が勝利する場合は、高い経済成長への要件がそろっていると言えそうです。いずれにしても、どちらの政党が政権を握ろうとも、株式市場に参加し続けることが大切です。あなたが片方の政権を好まないからと言って株式市場に参加しなければ、失うものは大きいと言えます。米国の経済構造自体が、大統領によって大きく変わるものではありませんし、市場への影響も限定的なのです。例えば、トランプ大統領の就任時には、経済成長が大きく高まり10年債金利も上昇すると市場は考えていましたが、結局、10年債金利の水準はオバマ政権時と同程度でした。過去、それぞれの政権に対して我々が予想していたシナリオは、現実とならないことが多いのです。オバマ政権時にはインフレ率の高まりが予想されていましたが、実際はそうなりませんでした。カーター政権時には、雇用が大きく増えると予想されましたが、実際は違いました。トランプ政権時は、税制改革により投資が大きく高まると予想されましたが、中国との貿易摩擦の高まりにより投資意欲は減退してしまいました。また、大統領の支持率に寄らず、過去、株式市場が堅調であった事実も覚えておく大切なポイントです。また、今回のような混乱した選挙戦は過去にも幾度となく見られており、それらの混乱は短期的な話に終わることが一般的です。最後に、一番重要な点は、金融政策が他の要因よりも最も影響があるという点です。誰が大統領になるかよりも、誰が中央銀行の総裁になるかがより重要です。米国以外の主要な中央銀行の政策も含めて、金融政策が市場に最も大きな影響を及ぼすと考えます。
<アジア・日本市場の注目点>
インベスコ グローバル・マーケット・ストラテジスト
木下智夫
1.アジア経済と市場の見通しについて
私からは、アジアと日本についてご紹介します。グローバル経済ではまだまだ需要の弱さが見られますが、新しい傾向としてはモノ消費の復活が見受けられます。外出や旅行が難しい中、消費者はインターネットで今まで以上にモノを購入する行動を見せています。先進国のモノ消費、つまり小売売上は、地域を問わず前年の水準を上回る状況となってきました。一方、新興国での戻りはまだ限定的です。韓国や台湾はいち早く回復しているものの、他の国は昨年の水準にまで回復していません。ただし、来年の夏までにはワクチンが新興国でも普及し、経済が本格的な回復に向かっていく中では、製造業についてポジティブな見方をしています。来年は、輸出国の多いアジアが直接的なプラスの恩恵を受けることになるでしょう。既に、輸出統計を見るとアジアへのプラス効果が顕在化しています。アジア全体からのエレクトロニクスの輸出は、巣ごもり消費やデジタル・トランスフォーメーション(DX)の恩恵を受けていますし、エレクトロニクス以外の輸出も既に前年の水準を回復しています。商品市況の代表的な指数である CRB指数も、実は既にコロナの前の水準を回復しています。来年に新興国におけるモノ消費が加速すれば、商品市況はさらに上向いていくと考えます。
モノ消費が盛り上がるとなれば、各国の製造業は設備投資を行う必要が出てきます。そして設備投資先の国については中国離れが見られます(昨年や今年の外資による中国への直接投資は前年比16%減少と推計)。日本貿易振興機構(ジェトロ)の調査でも大企業の9%程度がサプライチェーンの改編を行った、もしくは計画していると回答し、中国からベトナム、タイ、台湾、インド、インドネシアなどへの製造拠点の移転が見られます。実際、2015年頃からは、中国への直接投資の減少と、中国以外のアジアへの増加が進んでいます。現在は、新型コロナウイルスの影響で製造拠点移転の動きは中断されていますが、コロナが収束すれば中国以外のアジア各国やインドに対して直接投資を進める動きが強まると考えられます。
さて、今後の為替や株についてはどうなるでしょうか。足元、アジア圏の通貨は回復を見せている一方、タイやインドネシアなど同地域の株価は総じて弱含んでいます。ただし、今後の世界景気の回復が視野に入れば、他の新興国に比べて来年のアジアの株価というのは強気に見られると考えられます。
2.中国の中期的成長力は低下へ
ここからは中期的な観点に立った中国経済の成長力について紹介します。中国の輸出が世界の輸入に占める割合は、2010年代半ばまでは一本調子で上昇した後、2015年以降は横ばいになっており、5年前に大きな環境の変化が見られています。経済成長率は2012年〜2014年までは好調な輸出に支えられて7%台の成長を達成できましたが、その後は輸出が伸び悩む中での積極的な財政政策によって何とか6%台の成長を維持しているというのが現状です。今後、米国と中国の対立が深まると考えられることも、中国経済にとってマイナスです。中国では来年から新しい5カ年計画が始まり、その骨子が10月26日からの「5中全会」で議論されます。それに先立つ習近平の発言から考えられる中国当局の意図は、経済の輸出依存度を引き下げ、内需中心の成長を目指す、というものでしょう。また、国内のイノベーションを促進し高い成長率を維持したいようですが、国内のイノベーションは意図して確実に起こせるものではありませんし、痛みを伴った改革に着手できるかにも疑問が残ります。
中国では積極的な財政政策が推し進められてきましたが、これは限界に近づいているように思います。中国政府の表面的な財政赤字は国内総生産(GDP)比で3%台後半ですが、広い意味での財政赤字は10%を超えています。これ以上の積極財政は、財政の悪化に歯止めがかからないことを意味します。一方、金融政策においては、幸いにも中国にはまだ金融緩和の余地があります。現在の法定預金準備率は10%以上であり、これを引き下げることで金融緩和を継続させることができます。ただし、不動産業への過度な貸し出しを防ぐなど、与信管理の徹底が必要となるでしょう。
中国経済の中期的成長力についての結論を申し上げたいと思います。成長をサポートする要因としては、産業の高付加価値、農村部から都市部への人口の移動が挙げられます。成長を制約する要因としては、①米中貿易摩擦の激化、②財政政策の限界、③不動産投資への依存度の低下―が挙げられます。今後、中国政府が5〜6%程度の経済成長を目指す場合には、さらなる財政の悪化や不動産バブルの発生を覚悟する必要があるというのが私の結論です。一方、もし中国が保守的な財政運営を目指す場合には、中期的な経済成長率は3〜4%程度に落ち着くでしょう。
3.日本の見通しについて
次に日本についてお話します。直近、日本株のパフォーマンスは大変好調でした。8月と9月のTOPIXの上昇率が欧米の主要株価指数を上回った背景は、新型コロナウイルスの感染者の少なさ、米国のように財政政策議論のもたつきが無かったこと、が挙げられます。ただし、来年に入ると、これらの優位性は消えてしまう可能性が高いでしょう。ワクチンが普及することで、足元の感染状況が芳しくない欧米の状況が改善を見せ、また米国における財政の議論は決着するはずです。しかし来年の後半に入ると、ワクチンの普及から日本からの輸出先の国での設備投資意欲が高まってくることが日本株を後押しすると考えられます。
さて最後に私から1つ、日本の地盤沈下を止めるポイントに触れさせていただきたいと思います。私は世界が国際化していく中で、日本企業が外国に向けて直接投資を進める流れを止めることはできないと思います。フランスでもドイツでも、投資は外国に向かいます。日本の問題は、外国からの投資の受け入れが、主要国の中で圧倒的に少ないことにあります。外国からの直接投資を受け入れる環境を作ることが、菅政権が本当に取り組まなくてはいけない課題であると私は考えています。
講演2 「世界経済の現状と今後の展望」
インベスコ チーフ・エコノミスト
ジョン・グリーンウッド
1. 過去と現在の政策対応の違いについて
本日は、特に世界金融危機と、足元の新型コロナウイルス危機における政策対応の違いについて、皆さまにお伝えしたいと思います。各国における政策対応の違いは、後々の実体経済に異なったインパクトをもたらすでしょう。また、貿易戦争の問題やブレグジット(英国の欧州連合(EU)からの離脱)についても触れさせていただきます。
まず、現在の主要国の経済状況を整理すると、中国の動向が他の国に先行しています。厳格なロックダウンの実施により、中国の経済はコロナ危機以前の状況へ先んじて戻りつつあります。そして、米国、ユーロ圏、日本などは、今年の年末頃にはコロナ前の95%~97%の水準まで回復するものと見込んでいます。つまり、今回の経済の落ち込みは短期的なものであり、株式市場は、経済がワクチンや集団免疫の獲得により、通常の状態を取り戻すことを織り込んでいます。
そして、今回の危機における各国の家計や企業に対する財政支援は、世界金融危機と比較しても大変に大きな規模です。そして財政支援は、米国やその他の国において、今後も継続すると思われます。景気サイクルにより大きな影響を与える金融政策についても、世界金融危機と今回では大きく異なります。米国では、世界金融危機時は、中央銀行がバランスシートを大きく拡大させる量的金融緩和が3回にわたって実施されました。ただし、これは中央銀行が保有するマネーを拡大させただけで、民間が保有するマネーを拡大させたものではありませんでした。過去の3回の量的金融緩和において、広義の流動性が大きく変化しなかった背景は、民間銀行のバランスシートが毀損(きそん)していたこと、バーゼル規制により民間銀行が資本を積み増す必要があったことです。また、企業や個人の借入額は危機前に既に大きく膨らんでいたため、さらなる借り入れ需要は乏しいものでした。結果として、2008年から2018年まで、広義のマネーの伸び率は約5%程度と、限定的なものになりました。そして、これらのファンダメンタルズ上の背景が、インフレ率が中央銀行の目標値に届かなかった理由です。一方、足元では、米連邦準備理事会(FRB)が国債や住宅ローン担保証券(MBS)の買い入れや貸し出しプログラムなどでバランスシートを拡大させているのに加えて、民間が保有するマネーも急速に増加しています。これは過去10年とは全く違う状況です。FRBがマネーを供給しているだけでなく、民間銀行のバランスシートが拡大しており、民間が利用できるマネーが真に増加しているのです。
広義のマネーが増加しているいくつかの要因を整理します。1つ目は、2月から3月に新型コロナウイルスが広まったとき、企業が手元に流動性資金を確保するべく銀行から借り入れを起こし、それは政府系MMFの形で保有されました。2つ目は、FRBの資産購入による銀行の準備金の増加、そして失業者対策などの政府の方針の支援であり、これらもマネーの伸びに貢献しました。今後、ウイルスの問題が落ち着き、人々が経済に対して通常の自信を取り戻したときには、力強い経済の回復が訪れることが予想されます。
英国での状況も、米国に大変似ています。過去のイングランド銀行(BOE)の量的金融緩和は中央銀行のバランスシートを拡大させましたが、米国と同様の理由で、民間が保有するマネーに大きな影響を与えませんでした。足元では、BOEの積極的な資産購入に加え、民間が保有するマネーの伸びは2桁%と高い成長を見せています。米国での24%の広義のマネーの増加に比べると、英国のそれは10~12%増にとどまりますが、過去10年に比べるとその増加率が非常に高いという事実に変わりはありません。
ユーロ圏の状況も似ています。欧州中央銀行(ECB)は長期資金供給オペ(LTRO)を複数回実施したものの、民間が保有するマネーへの影響はとても小さいものでした。欧州債務危機時にはECBはバランスシートを大きく拡大させ、2015年には量的金融緩和を実施しましたが、広義のマネーへの影響はほとんど見られませんでした。一方、現在は民間銀行の財務体質は健全であり、ECBは迅速に行動を起こし、政府は銀行借り入れの補償を宣言したため、この10年で初めて民間が保有するマネーの11~12%という急速な増加が見られています。
日本での状況も同様です。日本は2001年や2006年に量的金融緩和を実施しましたが、その効果は限定的でした。世界金融危機の後は、白川総裁が就任するまで量的金融緩和は行われなかったものの、安倍総理の下で黒田総裁は質的量的金融緩和を実施しました。ただし、ここでも民間が保有するマネーへの影響は限定的でした。日本やユーロ圏では、中央銀行が資産購入を行った相手方が民間銀行のみであり、これは英国や米国において中央銀行がプライマリー・ディーラーなど民間部門から直接の資産購入を実施したという違いも挙げられます。いずれにせよ、今回は、日本でも民間が保有するマネーは増加しています。
もう一点、今回において注目すべき点は、通常の民間銀行における信用創造だけでなく、シャドーバンキングにおける信用創造が見られることです。ITバブル時や米国住宅バブル時に大きな成長が見られたシャドーバンキングのマネーの供給は、世界金融危機で大きく落ち込みましたが、足元では大きな復活を見せています。2020年5月までに起こったことは、まず、民間セクターが民間銀行のクレジットラインから資金を借り入れて、政府系MMFを保有していることです。そして、政府債務が増加した裏側で多くの金融機関が米国債を保有し、シャドーバンクはその米国債を担保として金融機関に貸し出しを行っているのです。
まとめると、足元で行われている金融政策は、世界金融危機と比較して、実体経済に大きな影響を与えうるということです。
2. 広義のマネー拡大の実体経済への影響
広義のマネーの拡大は、まず株価などの資産価格に、次に経済活動に、そして最後にインフレーションに影響を与えますが、その波及には時間差があります。資産価格への影響はほぼ瞬時に起こり、その後6~9カ月以上の期間にわたり波及していきます。現在はそのステージにあると考えており、多額のマネーが資本市場に流れ込み、結果として足元の米国株は堅調に推移しています。次なる経済活動や消費への波及は、企業や個人が自信を取り戻し、新型コロナウイルスが落ち着く2021年のどこかのタイミングで起こるでしょう。そして最後のインフレへの波及は、広義のマネーの変化から少なくとも1年後から2年後に訪れます。ただし、現在はコロナウイルスに関する不確実性が高く、そのような状況では人々は現金の保有を選好することになるため、波及の影響が3年以上かかる可能性もあります。
金利への影響については、過去の例を見てみましょう。QE1が行われた当時、その政策はインフレ率を高める政策と考えられたため、米10年国債の金利は上昇しました。つまり、今回の政策が経済における支出を刺激しインフレ率を高めるものだと市場が考えるのであれば、国債金利は低下するのではなく、上昇することになるでしょう。
現在、急速な広義のマネーの伸びが株式市場を押し上げています。そして、米国の広義のマネーの伸びが他国よりも高いことが、米ドルが弱含んでいる背景と考えられます。そして、今後も米ドルの減価が継続するものと考えます。
足元の経済については、米国経済は既にコロナ前の94%程度まで回復しており、年末には97~98%の水準まで回復を見せるでしょう。そして、強力な金融政策が2021年の経済を力強く支援すると考えています。2021年の初期には、前年比のGDPもプラスに転じることになるでしょう。
最後に、インフレについての見通しです。現段階で正確な予想は難しいながらも、世界金融危機後の中国の事例はその参考になると考えています。当時は、2年にわたって広義のマネーが25%増加し、その後2年間でインフレ率は6%に達しました。今後の米国のインフレ率は、足元から3~4年後にFRBの目標値としている2%のターゲットを超え、3~5%程度の水準まで上昇すると考えます。そして上昇の程度は、今後の広義のマネーの増加率次第となります。
3. 世界貿易とブレグジットについて
コロナ危機以前において、世界貿易はトランプ政権の関税政策によって減速していましたが、足元では回復の兆しが見えます。ウイルスの感染拡大下ではサービス主導の経済がより大きな影響を受けており、製造業主導の経済の先行きについて、私は楽観的な見通しを持っています。長期的な貿易の動向は、米国の中国に対する姿勢によって左右され、今後はトランプ政権下の政策からの逆流が見られるでしょう。なお、1960年~1980年代における日本の繊維業や鉄鋼業に対する米国の制裁は、日本の産業の高度化をもたらしました。現在、中国において同じことが起こっています。低付加価値の産業はベトナム、バングラディシュ、カンボジアに移管され、中国の産業は高付加価値産業へシフトしています。皮肉なことに、米国の貿易制裁は中国の技術ベースの産業構造への移行を加速させているのです。
ブレグジットについても少しお話します。英国経済は新型コロナウイルスによる甚大な影響を受けており、雇用や労働時間数は急激に悪化しています。英国のGDPの約85%はサービス業が占めており、従業員の解雇やパートタイムへの切り替えが進んでいます。冬の時期には雇用がさらに悪化すると思われ、この時点でのブレグジットは当然、望ましいことではありません。2016年の国民投票以降、ブレグジットによる不確実性の高まりにより企業の設備投資は減退しています。ただし、私はブレグジット後の英国については楽観的な見通しを持っています。ブレグジットの交渉の決着さえつけば、英国はEU圏の製造業などに適している枠組みから離れ、自らが強みのある領域に集中することができるからです。
4. 今後の経済見通しとまとめ
最後に、今後の見通しについて申し上げます。経済については、新型コロナウイルス発生までの非常に長い景気拡大期の後、足元、短期間の景気後退を迎えています。そして、ウイルスの脅威が過ぎ去った後には、経済に力強い回復が訪れるでしょう。米国では、足元から2年程でインフレのリスクが高まると考えています。私の短期的な見通しについては、コンセンサスと変わらないと思いますが、より長期の2022年や2023年以降のインフレ率の上昇は経済動向を左右する問題になると考えています。
株式については、現在の価格は過去の高値水準にあるものの、金利が上昇を始めるまでは、さらなる上昇が続くと考えています。現在、FRBは金利を抑え込んでおり、その変化がブルマーケットの終焉(しゅうえん)をもたらすと考えます。債券については、金利は現在から上昇する方向性しか残されていないことが、それらへの投資を難しくしています。為替については、米ドルが弱含むことを想定します。まとめると、ブルマーケットが継続する中で、インフレの懸念の高まりが徐々に見られると考えます。そして、ディスインフレの環境からインフレの環境に移行するタイミングでは、投資家の資産配分に大変大きな影響を与えると考えます。そして、金利上昇の懸念が高まるまでは、投資家は株式への十分な配分をするべきと考えています。
スペシャル・インタビュー・セッション
「コロナ後の世界経済と日本の進路」
東京大学 名誉教授
学習院大学 国際社会科学部教授
伊藤元重
インベスコ グローバル・マーケット・ストラテジスト
木下智夫
1. コロナウイルスの影響について
木下:本日はよろしくお願いいたします。最初のテーマは「世界経済がコロナ危機から回復できるかどうか」についてお話しさせていただきたいと思います。足元の世界経済はコロナにより損害を受けているのですが、株式市場は1〜2年先のワクチンが大きく普及した世界を想定しているかのような動きを見せています。世界経済の回復と、その注意点についてお聞かせ願えますか?
伊藤:今年の3月時点の皆が大いに悲観的であった時期から8カ月が経過しましたが、まずグッドニュースは金融危機の発生を回避できたことです。当局の積極的な介入により、金融市場が安定していることは、とても重要なことです。20世紀以降、大きな金融危機が訪れると1人当たりのGDPが回復するまで7年〜8年程はかかると言われており、今回、そういう自体にならなかったのは非常に良かったと思います。バッドニュースは、コロナウイルス自身が持っている怖さであると思います。FRB元議長のバーナキン氏はコロナを吹雪に例えましたが、コロナは吹雪と違って一週間待っても収まりません。冬が訪れるため、感染の影響は不透明感が強いのも事実です。当局はしっかりした対応を取るでしょうから悲観的になりすぎることは無いのですが、今後の懸念点は、先々、金融機能が正常に働くかという点です。現在は緊急対応が行われていますが、状況が落ちついた次のステージでは各企業の実際の支払い能力に焦点が当たります。いずれにしても、警戒感を持ちながら、あまり悲観的にならないことが重要と思います。
木下:今回の金融措置でマネーストックが増えたのは事実なのですが、本来は支払い能力のない企業に貸し出しがされているのであれば、それは後々の不良債権として問題となってくるでしょう。
伊藤:直近、コロナを通じてより強くなる国と、そうでない国との違いというアジェンダでの講演の依頼がありました。例えば、コロナから一足早く立ち直り、デジタル化が進んでいる中国は強くなる国という意識があるのかもしれません。そして感染の第2波が見られる欧州はやや厳しい見通しであり、米国については判断が難しい。日本は、コロナ感染自体はうまく押さえ込めているのですが、デジタル化の遅れなどから楽観的な見通しを持てない状況です。
2. デジタル・トランスフォーメーション(DX)について
木下:今、話に出たデジタル・トランスフォーメーション(DX)ですが、多くの米国企業は、この波に乗り遅れたら生き残れないという強い危機感を持っていると思います。DXについて、どうお考えでしょうか?
伊藤:マクロの視点で考えてみたいと思います。アベノミクスが2013年から始まった訳ですが、デフレ懸念がある経済に対して金融や財政などで需要サイドを支援することで、経済を支えてきました。これは必要な取り組みであった一方、潜在成長率はなかなか高まっていかなかった。カンフル剤を打って活力は維持していたのですが、第3の矢である成長戦略はなかなか成果を出すのが難しい。成長戦略とは、政府ではなく民間企業が行動しなくてはならないという側面があるからです。菅政権においては、アベノミクスを継承しながら供給サイドをどう強化していくのか、潜在成長率や生産性をどう引き上げていくかが問われると思います。日本、米国、欧州において、もちろん規制緩和も大切なのですが、やはり急速に伸びているデジタル技術を経済の波にいかに結びつけるかのDXが大切なのだと思います。日本では、コロナ危機の前からDXの重要性を皆が頭では分かっていたのですが、技術は技術、経営は経営と分断されてしまっていた。ただし、足元では、このDXの波に乗り遅れたら生き残れないかもしれないという懸念が高まっており、これは日本企業にとっては良いチャンスなのでしょう。シュンペーターが述べたような創造的破壊が行われる期待感を持って、現在の状況を見ています。
木下:つまり、ある程度の痛みを伴って改革を進めていくことが企業に求められているということかと思います。菅政権においては、デジタル庁の創設などDXを促進しようと試みていますが、これは企業だけでなく政府や教育界などにも求められる変化です。ただ、米国の大学で今年の3月にはオンライン授業などを開始する動きが見られたのに対して、日本は後れをとっているように見えます。この点は、どのように考えられますか?
伊藤:DXは教育だけでなく、医療や企業における働き方などでも求められている変化で、日本は米国や中国などと比較して後れをとっていた分野です。ただ、教育の現場などではこの半年で大きく変化していると思います。また、オンライン授業が全て良い訳ではなく、既存のキャンパスでの活動にも意味があり、これは在宅勤務についても同じです。これから我々が、いかに良いソリューションを見つけていくのかが大切ということでしょう。
木下:今後、菅政権はDXに取り組んでいくことになるのですが、大規模な補正予算など、足元までの政府のコロナへの対応には、どのような評価をされていますか?
伊藤:足元まで、金融や財政面でブレーキを踏むような状況ではなかった訳ですし、大枠としては正しい方向で進んできたと考えています。日本経済は幸か不幸かデフレ的な環境で金利も低いため、債務を増やしても返済負担は限定的であるという環境にありました。ただし、足元ではコロナ対策のステージが変わり始めており、10万円給付、雇用助成金、企業への緊急融資から、次なる政策が求められています。引き続き、大胆な金融と財政政策が求められる中で、その中身が、今、政府で議論されていると思います。また、不安をあおる訳ではないのですが、資本市場と実体経済のギャップ、株価の水準やクレジットの状況などに危機感をもっておかなければならないと考えています。なお、菅総理の突破力のある手腕にも期待をしています。
携帯電話料金の引き下げや、官房長官時代の薬価の引き下げなど、このような特定の分野の変化は、社会全体の流れを大きく変えることにもつながります。特許が切れた薬の価格引き下げは、今まで安住していた企業に新薬開発などの付加価値を高める活動への最後の背中を押すきっかけになったと思います。通信料金の引き下げも、5G下で通信業界が楽をしてもうけるのではなく、電波という公共財を国民が安価に使いながら、いかに高付加価値なサービスを提供していくのかという流れにつながる可能性があります。一見するとマイクロな変化と思われるものが、結果として社会全体を変える原動力になることを期待しています。
3. 現在の日本の政策について
木下:現在の日本は、大規模な財政出動により景気を下支えしていますが、中央銀行の資産購入によって金利が低く押さえ込まれているのでそれが可能になっているとも言えます。日本の政府債務はギリシャと並び高水準であり、直近のような財政の投入が果たして持続可能なものであるのか、これは特に債券を保有している投資家にとって大きな関心事です。この点は、どう考えられますか?
伊藤:財政への懸念は、日本固有の問題ではなく、今や多くの先進国や新興国での問題です。ただし、政府債務の増加の背景には、それに匹敵する余剰貯蓄が民間セクターから生まれていることも指摘しておかなくてはなりません。日本の場合は、1990年代の後半以降は、企業部門の余剰貯蓄が対GDP比で5%程度という高い水準で推移しています。それに対して政府の財政赤字は同3%程度の水準とみており、結果として、日本は海外部門に対して経常赤字とはなっていません。この状況を良いと言っている訳ではなく、日本の景気が悪いことが、この現状を生み出していると考えられるということです。本当に警戒すべきは、景気が良くなり資金需要が動き始めた時に、政府の財政赤字をカバーするだけの資金をどこから捻出するのかという点です。それは外国から出てくるのかもしれませんが、この視点が今後の財政を考える上での大切なポイントだと思います。
木下:私はマイナス金利環境が長く続いたことが、地方の金融機関に悪影響をもたらしている側面がかなりあるのではと考えています。菅政権においては、地方銀行の統廃合が選択肢に入っているように見えますが、地域経済について、いかが思われますか?
伊藤:確かに、マイナス金利政策により地方銀行が苦しんでいることは事実だと思います。ただし、マイナス金利の環境でなければ地銀の経営が順調であったかと言えば、私はそうでなかったと考えます。そこには、地域経済の構造的な問題、伝統的な銀行業務だけで良いのかという点、地方の人口減少など、様々な問題があるのだと思います。地方で医療崩壊が起きているという話がありますが、実はそもそもの地域崩壊が起きているのだと言う方もいます。菅政権が、地域経済の中で地域金融機関が果たす役割が大きいと考えているなら、それらは政策の中に取り込まれていくのでしょう。
足元、アマゾンやフェイスブックが独占の問題にさらされていますが、地域金融機関についても同じ視点で考えることができます。なぜ、地域金融機関は不動産業や製造業に関わってはいけないのでしょうか。昔であれば、地域で力を持っている金融機関の業務を制限するのは分かりますが、既に時代は変わってきていると思います。地方金融のあり方については再度、議論がなされるべきだと思います。
4. 保護主義とサプライチェーンの行方
木下:保護主義の台頭とサプライチェーンの変化は、日本企業に多くの影響を与えると思います。米国の大統領選挙の行方次第ではありますが、日本の製造業が中国に生産拠点を大きく依存している現状などを踏まえて、考えを聞かせてください。
伊藤:まず間違いなく言えることは、経済は過去より大きな影響を地政学から受けるようになっているということです。中国について言えば、習近平政権以降、共産党の力が非常に強くなっています。米国の動きというよりは、中国が内部からどう変わっているのかという視点が大切と思います。トランプ政権の対中政策の特徴は、世界貿易機関(WTO)を無視するなど何をするのか分からない、常に取引をしているという所にあります。仮にバイデン氏が大統領になったとしても、中国には厳しい対応が続くと予想されますが、もう少しルールを守った上での外交となり、関税なども引き下げられていくのだと思います。民主党であるバイデン氏は、人権や安全保障について中国に厳しい目を向けると思いますが、貿易については異なったアプローチが取られるでしょう。
木下:私は1990年代にワシントンに4年程駐在していましたが、バイデン氏は当時から外交委員会における重鎮の委員長として名前が通っていました。バイデン氏は外交について究極のインサイダーと言え、彼が大統領となった場合には議会を巻き込む形で、外交政策を練り上げるのではないかと思います。外交政策についていろいろな話が我々にも漏れ伝わってくると思われ、金融市場としてはサプライズも少なく、先行きが見通しやすい環境になるように思います。そして、本格的に組織立ったバイデン氏の外交は、中国にとって手ごわい相手になるものと思います。
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